NO.351 4月16日【木】=タコ焼きのはなし=

おはようございます。
江戸時代から天下の台所と呼ばれ、現在も食いだおれとして、日本の食文化の中心的役割を果たしてきた大阪ですが、その実態は決して高級な食材や格式高いお料理が並ぶのではなく、まさに庶民の味、日々の暮らしのなかで誰もが慣れ親しんだ味こそが、大阪の味、なにわの味覚として多くの人々に受け入れられているのだと思います。そのいわゆるB級グルメのなかでも、粉もん文化とも呼ばれる大阪独特の味覚の代表選手が、タコ焼きではないかと思います。

粉もんと呼ばれるカテゴリーには、タコ焼き以外にも、お好み焼き、焼きそば、いか焼き、うどん、豚まん、あんまん、シュウマイなど、多種多様な料理が挙げられますが、粉もんという呼び名の由来通り、広く小麦粉を材料にした料理を意味します。粉もん文化は、戦後の食糧難時代に小麦粉が手に入りやすかったことから広まったとされています。コメ不足を補うために小麦粉を使った様々な料理が考案され、家庭や屋台で人気を集めてゆきました。特に大阪では、安くてお腹いっぱいになることから、庶民の味として根付いたようです。

そのタコ焼きですが、実はタコ焼きのルーツは大阪ではないといいます。タコ焼きの名のとおり、中にはダイス状に刻んだタコ(マダコ)が必ず入っていますが、このタコを使った料理としてお隣の兵庫県は明石を中心に食べられていた明石焼きがそのルーツとされています。明石は瀬戸内に面した漁港として栄えた町ですが、漁師たちは魚の網に一緒にかかってしまうタコを捨てるのではなく、なんとかおいしく頂くことはできないかと考案されたのが小麦粉の生地に卵をたっぷりと入れ、そこにタコを加えた明石焼きとされています。明石焼きは地元では玉子焼き、あるいは明石玉とも呼ばれています。そしてタコ焼きのようにソースをつけるのではなく、主にねぎを刻んだだし汁に浸けて食べるというのが主流です。卵がたっぷりと入っている分、焼き上がりもふわふわで箸でつまむと簡単に崩れるほどやわらかい食感が特徴です。

昭和の初め、大阪ではラジオ焼きと呼ばれる粉もん料理がありましたが、牛すじとこんにゃくを入れたものでした。そのラジオ焼きが明石焼きの評判を聞きつけて、牛すじの代わりにタコを入れてみたところ、大人気となりタコ焼きとして大阪の名物になったと聞きます。明石焼きが出汁に浸けて食べるのに対し、タコ焼きはとんかつソースを改良したとろみのあるソースに青のりやかつお節を振りかけて食べます。このあたりの食べ方は、粉もんの双璧とも称されるお好み焼きの食べ方と共通点があります。タコ焼きは、昭和当時、おもに屋台や駄菓子屋で提供されることが多かったので、やはりその場でおはしを使わずとも気軽に食べられるスタイルを優先したのだろうと考えます。

現在では具材のバリエーションも広がり、チーズやキムチを入れたり、ソースもさまざま登場しているようですが、タコ焼き専門店が全国展開するなど、各地で地域色豊かな独自のタコ焼きも登場するようになりました。消費者の多様なニーズ、SNS映えを意識した見た目の工夫など、タコ焼きの進化はこれからもまだまだ続きそうですが、タコ焼きのはなし、明日ももう少し続けてみたいと思います。

今日も一日頑張ってゆきましょう。
よろしくお願いします。

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