NO.219 7月10日【木】=野本教授と免疫ミルク=

おはようございます。
臓器移植法の成立と施行に大きな功績を残された野本亀久雄九大名誉教授ですが、その当時1990年代には、野本教授は日本の医学会のみならず、ライフサイエンス(生命科学)という新しい産業界においても、知らぬ人はいない第一人者でありました。その存在は一大学教授という立場を超え、日本の新しい産業基盤を形成するその担い手として、まさに産学官の連携をけん引する指導者としての実力を遺憾なく発揮されていました。これを端的に示す逸話として、いまも語り継がれているのが野本教授が主宰した日々黎明塾という団体です。

全国に散らばる野本研究室のお弟子さんたちは、当時国立公立私立を問わず、多くの大学で生体防御学の研究を進め多くは医学部や農学部の教授を務めておられました。そこからさらに孫弟子と言われる多数の研究者が輩出されていたのですが、野本教授のお弟子さんたちは、大学だけにはとどまらず、多くの大手企業や官僚、一部の政治家にも広がっており、その数は全国で数万人とも言われていました。そしてその多くが日々黎明塾の塾生として野本教授に直接、間接的に指導を受けていたのです。

日本の新しい産業としてライフサイエンス産業、当時はバイオインダストリーとも称されていましたが、これを生体防御学をベースに、世界のトップクラスに押し上げようと、まさに産学官が連携して動いていたのです。その象徴が日々黎明塾であり、その年次総会には、野本研究室の直弟子はもちろん、政府高官や政治家、大手企業の重役をはじめ、日本中の野本学校生を自負する人々が、野本教授に直接お会いできる機会として、数千人レベルで全国から馳せ参じたのです。一部のマスコミには、野本軍団として取り上げられたこともあり、まさに日本の新たな成長戦略を担うべく、闘う集団として多岐の分野でその活躍が報じられていました。

そしていよいよ野本教授と免疫ミルクの出会いですが、かく言う私も日々黎明塾にお誘いを頂き、塾生として参加させて頂いていました。そして年次総会のあとには毎回分科会があり、私はその分科会で多くの教授クラスの先生方や企業のエリート研究者が集う中で、免疫ミルクのプレゼンをさせて頂く機会を頂いたのです。正直なところ、もう極度の緊張の中何をお話したのかすら覚えていないくらいでしたが、10分の発表のあと先生方や研究者の方々でいろいろな議論が始まり、私には理解できない言葉が飛び交っていたのは何となく記憶しています。こんなものが本当に効果があるのかといった厳しい意見もあったように思いますが、最後に座長である野本教授がおっしゃった言葉だけは良く覚えています。「これは薬ではなく食品である。安全性がしっかり確認できれば、メカニズムは解明できなくても、国民の役に立つなら価値はある。ワシが責任を持って面倒を見てやる。」

こうして、免疫ミルクは日々黎明塾の野本軍団によって共同研究のテーマとして取り上げられることになったのです。そして九州大学と4社の大手企業の研究者による免疫ミルク研究会が結成され、日本で免疫ミルクの記念すべき共同研究がスタートします。1989年から約2年間にわたる共同研究によって、免疫ミルクはその安全性と有効性をしっかり確認し、いよいよ日本の市場デビューに向けて準備が整いますが、しかし販売にこぎつけるにはもう少し時間がかかることになります。それはまた明日にお話したいと思います。

きょうも一日頑張って行きましょう。
よろしくお願いします。

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