おはようございます。
本日のお題は、エイプリルフールのジョークでもなんでもありません。トランプ氏によってアメリカは、いまや専制国家となりつつあるとの危惧が日に日に現実味を帯びてきているという事実を、私たちはしっかり認識しなければならないと考えます。世界では民主主義国家が減少し、専制国家、あるいはその過渡期ともいえる権威主義国家が増えているとスウェーデンのV-Dem研究所など、複数の国際研究機関がその調査報告で警鐘を鳴らしています。オックスフォード大学が運営する国際統計サイトによれば、選挙によって民主的な体制が維持されている国は90か国に対して、選挙はあっても独裁的な権威主義政府が統治している国は109か国に上り、人口比でみても、民主主義の下で暮らす人口は23億人(29%)に対し、独裁的な専制政治に暮らす人口が55.6億人(71%)と圧倒的に専制主義、権威主義が世界に広がっていることを示しています。(2021年の統計)
歴史的には民主主義は古代ローマ時代にその端を発する思想ではありますが、さまざまな時代の変遷を経て、現在の自由な民主主義の形が形成されたのは、第一次大戦後からであり、まだ100年ほどの歴史と言えます。その以前は多くの国や地域は、国王など一部の権力者によって支配され、あるいは統治される専制主義が大半であったと言えます。階級制度や支配者が搾取するシステムによって、貧富の差が歴然と存在する世界であったのです。こうした専制主義を改革し、市民の権利、基本的人権を尊重する考え方が自由な民主主義として、世界大戦後に一気に広がり、そのお手本として欧米諸国がこぞって民主化を進めてきた歴史があります。アメリカはまさにその自由と民主主義の旗手として世界をリードしてきた経緯があります。
しかしながら、一方で民主政治こそが専制政治を生み出すと、19世紀のフランス政治家、アレクシス・ド・トクヴィルは当時から警鐘を鳴らしていたと言います。彼はその著書である「アメリカの民主政治」において、専制政治は民主政治から生まれると述べています。民主政治だからこそ、専制政治になると言います。なぜ、民主政治が専制政治になるのでしょうか。それは民主政治の意思決定が、基本的に多数決によるものだからと説明しています。考えてみれば、多数派の意見が少数派より優れているとは限りません。むしろ、正しいことを知っている優れた人物というのは、たいてい数が少ない。ところが民主政治では、多数派の意見が正しいことになってしまいます。多数決の仕組みには、人々の能力に優劣がなく、平等だからという暗黙の前提があるのです。これをトクヴィルは、知性に適用された平等理論と呼んでいます。多数決の民主政治では、少数派は多数派の決定に逆らうことはできません。つまりすべてを決める専制的な権力が多数派に与えられるということになります。
トクヴィルの指摘は、アメリカだけではなく、世界でそして日本でも起きている現象なのかもしれません。自由な民主主義を是とする思想は本当に正しいのか、私たちはもう一度振り返って顧みる時期にあるのかもしれません。このお話、明日ももう少し深堀したいと思います。
今日も一日頑張ってゆきましょう。
よろしくお願いします。

コメント
トクヴィルの理論を初めて知りました。多数派による専制政治、なるほどなと思います。
日本も民主主義国家の看板を掲げていますが、私自身省みると、国民主権の意識は非常に希薄、皆無に近い状態だったことを思います。東京から宮崎市に転居してますますそのことを感じます。流されて多数派、思考停止状態の多数派だったことがなぜかよくわかるのです。一旦東京を離れてみると、日本の政治がいかに首相官邸や霞ヶ関が一方的にあるいは陰でこっそり決めているかがよくわかります。東京在住の時には当たり前と思っていたこと、何の疑問も持たずに保守、リベラルの枠組みの中だけで物事を捉え既成概念に縛られていたことを思い起こします。
しかし、そう思えるのも体の調子が良くなってきたからこそ。健康は身近な社会との繋がりがあってこそだと実感しています。サステナとサステナに関わる人たちが大きな貢献を続けていることに今更ながら感謝しています。