おはようございます。
免疫ミルクが発明されたのは、1958年の米国スターリ研究所ですが、その創始者で、サステナの生みの親とも言うべき、実業家ラルフ・J・スターリ氏について、そのプロフィールをご紹介したいと思います。
彼は1904年1月17日にケンタッキー州ニューポートという町で生まれました。そして1996年1月13日に永眠するまで、実に92年間にわたり、生涯現役を貫いた筋金入りのビジネスマンでした。医療や衛生環境が整備され、長寿が珍しくなくなった現代でも、92歳という年齢は平均寿命を大きく超えて非常に長生きした人物と言えます。ましてや亡くなる直前までスクーターで農場と会社の間を駆け回り、重要な会議には必ず出席していたと言いますから、文字通り生涯現役を実践しました。その偉業を支えたのは免疫ミルクと言っても過言ではありません。
免疫ミルクの生みの親であるスターリ氏は、実は科学者でも研究者でもありません。スタートは貧しい職工でした。高校を飛び級で1年早く卒業するほど優秀だったスターリ氏ですが、家庭の事情で結局希望の大学には行けず、高校卒業後は金属加工の職工として働かざるをえなくなりました。しかし上昇志向が強かった彼は、弱冠18歳で会社を興します。わずか250ドルの元手で道具を調達、自宅の車庫を使って電気メッキの仕事を始めたのです。折しも第一次世界大戦によって米国経済は空前の好景気に沸いていましたから、彼の事業も大いに発展してゆきます。
しかし、寝るまも惜しんで働いた結果、24歳にして結核を患うこととなります。結核の有効な治療薬としてストレプトマイシンが開発されるのが1940年代ですから、1920年代では、結核は不治の病、死の病として、今日のがん以上に恐ろしい病気でした。
さらに悪いことが続きます。戦争景気に沸いた米国経済はほどなくしてバブルの崩壊を迎えます。1929年に世界恐慌が勃発したのです。この一連の災難が後のスターリ氏の生き方を一変させることになります。1年にも及ぶ闘病生活のなかで、一旦は死を覚悟しますが、敬虔なキリスト教徒であり、そして敏腕のビジネスマンでもあった彼は、おそれ多くも神様と取引したのです。
「もし再び命を与えられ生き延びることができたら、病床に臥せっている人たちの助けになることをします。」
死の淵から奇跡的に生還を果たしたスターリ氏は、後の人生をかけて人々の健康と幸せのために尽くすことを神様に誓ったのです。そしてその決意は彼の生涯を通しての行動規範となり、免疫ミルクに関わり、免疫ミルクの恩恵を受けているすべての人々に現在も基本理念として共有されています。
「私が生涯持ち続けた願い。それは世界中の人々を健康で幸せにすることである。」
結核という不治の病を克服したスターリ氏は、どんな苦難にも諦めずに努力を続けることで、世界恐慌の時代を乗り切ります。そしてとうとう1963年、アルミ缶飲料のプルタブ製造技術の開発により、実業家としての大成功を果たします。コカ・コーラ、ペプシ、バドワイザー、クアーズ、世界中の人々が今日手にする缶飲料がその場ですぐに飲めるのは実はスターリ氏の発明のおかげなのです。(幻冬舎刊 「免疫ミルクをご存じですか」のコラムより抜粋)
今日も一日頑張って行きましょう。
よろしくお願いします。

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