NO.208 6月20日【金】=少子化の行きつくところ=

おはようございます。
6月5日にもこの話題を取り上げましたが、日本は高齢化とともに少子化も驚くべきスピードで進んでいます。前回のお話は、地球規模で考えれば、世界の人口はまだまだ増加傾向にあり、2080年には100億人に到達する勢いであることをお話しました。そして人口増加にともなう気候の変動や環境破壊がこれからも進んで行くとすれば、一部でも少子化で世界人口の増加に歯止めがかかるのであれば、決して悪いことではないということ、さらに日本は高い人口密度でも、より環境負荷の少ない生活を具現化しつつあり、その知恵や工夫、生活スタイルは世界のお手本になりうるのではというお話でした。

しかしながら、国というレベルで考えると、やはり少子化のインパクトは非常に大きいものがあります。特に日本は高齢化と相まって、まさに労働力、経済力の低下が続いており、さまざまな社会インフラが維持できなくなったり、世代間で支えあう仕組みとしての社会保障制度も維持が非常に困難になりつつあります。少子化の指標として合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に出産する子供の人数)で見れば、日本は現在1.15まで下がっています。世界を見れば、お隣りの韓国が0.72、台湾は0.87、シンガポールも0.98、中国がかろうじて1.0と、日本よりさらに深刻な状況の国がたくさんあります。人口の増減を左右するのは、出生率だけではなく、死亡率や移民の動向も大きく影響します。

欧米の先進国は、かつて周辺国からの移民を大量に受け入れることで人口を増やし、経済を発展させ国力を伸ばしてきた歴史があります。しかし今は経済成長が止まり限られたパイを奪い合うように、他者を蹴落としても自身の生き残りを勝ち取ろうとするエゴイズム、自分さえよければ他人のことは二の次といった利己主義が正当化される時代になってきました。結局世界では人口が増えて地球環境の破壊が進み、主に先進国では少子化などによって経済がシュリンクし、社会に余裕がなくなった結果、我が身大切という個人主義がエスカレートして、ますます知性も寛容性もない、本能むき出しの弱肉強食の世界になりつつあるのではと危惧します。

少子化の行きつく先は、文明社会が崩壊した野生の世界なのかも知れません。人類が進化してきた道を逆行し、何百万年後にはまた類人猿のような生活に戻ってゆくのかも知れません。それが地球の環境を再生するためのプロセスなのだと考えれば、何億年もの地球の歴史の中では、絶滅した恐竜のように、何度か繰り返されてきたパターンなのだとも考えられます。しかしながら、たとえそれが人類の宿命であったとしても、いまを生きる私たちには、その生きている期間、一生のなかでやはりより良い人生、より良い生活を追い求める権利がありますし、またそれを子や孫の世代には伝える義務もあると思います。

少子化が進む社会をなるべく住みよい、そして幸せを感じられる世界にしてゆくには、どうすればよいのか。交通手段の発達とインターネットなどの通信技術の進歩によって、私たちの生活空間は飛躍的に広がりました。その恩恵によって世界は近くなり、国や人々の距離が縮まり、利便性も上がりました。しかしその一方で、私たちを取り巻く情報量は圧倒的に増えた半面、人と人を繋ぐリアルなコミュニケーションが大幅に減ってしまっている気がします。情報の氾濫と反比例するように、ヒトの孤立化が進んでいるように感じます。デジタル化という波にのまれて、自らの五感が正常に機能しなくなる中毒症状が起きているのではないでしょうか。

結局のところ、私たちの生活空間が広がったのと同時に、社会では分業が進んで企業も国家も情報という実体のない幻影に惑わされ、まさにバブルのように肥大化し、制御不能に陥っているように思います。少子化によって日本や多くの先進国は、いまより人口が減少した社会でどのように生活レベルを大きく落とすことなく、日常生活を維持させてゆくか、それは肥大化した社会の構造を、もっと小さい単位に切り分けて、そのなかで人と人がリアルのコミュニケーションを軸に繋がりながら、共生できる単位を再構築することであると考えています。村社会のような単位で、ある程度自給自足しながら、独立して社会生活が成り立つユニットをたくさん作り、これを有機的につないで交流できるような社会構造に変えてゆく必要があると思います。それが私たちの考えるスターリビレッジの基本構想なのです。

今日も一日サステナ飲んで頑張りましょう。
よろしくお願いします。

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