おはようございます。
掲題の言葉は、東京大学大学院の鈴木宣弘教授の言葉と言われています。ひと言でいうと刹那主義で自己中心的な、ということでしょうか。最近は、さまざまなシーンでよく使われる言葉になりました。世界を見渡すと、多くの国々が自国の利益を最優先する方針を堂々と主張する政治家やそのグループが国民の支持を得て政権を運営する傾向が非常に強まっているように思います。特にこれまでは世界のリーダーシップを担ってきた欧米の先進国でその風潮が顕著に強まっているように感じます。
「今だけ」」という考え方は一見理想的に思えます。先のことばかり考えて、思い切れず後で後悔するよりはずっといいかもしれません。しかし、未来の自分や社会から機会や時間の前借りをして、現在のために浪費するような生き方、考え方は後に後悔しか残らないと思います。生産的なことや教育に時間を使う代わりに、ただただ享楽的で暴飲暴食にふけるような生き方と言えばわかりやすいかもしれません。いつか前借りのツケを払うときが来て後悔しても遅いのですから。
「金だけ」というのも、現代社会においてのお金の重要性を考えれば、否定するものではありません。相手の求める仕事をして、ありがとうという感謝を具現化する対価としてのお金は尊いものだと思います。しかしながら、対価に見合わない見返りを不正に求めるケースや、お金を得る代わりに信用や人望を捨ててしまうような生き方、考え方は結局のところ孤立を生み、決して幸福にはつながらないと思います。
そして「自分だけ」ですが、私たちは社会において相互扶助があることで生かされています。日本人には昔から三方よしという思想があります。江戸時代の近江商人の言葉とされていますが、「買い手よし、売り手よし、世間よし」という、商いの極意を表わしています。よい仕事をすればよく売れる、お客も喜び、結果社会を豊かにすることができるというところでしょうか。海外のビジネスではWINーWINという言葉がよくつかわれます。これは売り手も買い手も双方に互恵的な関係、取引でなければならないという意味で使用されます。言うならば二方よし、あるいは双方よしでしょうか。しかし日本人は、その上を行く三方よしという考え方を古くから尊重してきた国民です。
世界が、そして多くの人々が、「今だけ、金だけ、自分だけ」という思考に陥り、それを正当化したり、あるいは公然とその思想を振りかざして行動するのを見るにつけ、少なくとも私たち日本人は、ある種の違和感、もしくは不安感を覚えることが多いと感じています。こんな時代だからこそ、私たちはどう生きるのか、何を大切にしてゆくのか、改めて考えることが必要なのだろうと思います。
今日も一日頑張って行きましょう。
よろしくお願いします。

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