NO.218 7月9日【水】=野本九州大学名誉教授=

おはようございます。
今年89歳になられた野本亀久雄先生ですが、私たちが毎日愛用している「サステナ」は、野本先生がおられなければ、今日このような形で日本の会員の皆さまにお届けすることはできなかったかも知れません。そんな大恩のある、そして免疫ミルクの日本での生みの親とも言える野本亀久雄先生との、大切なご縁について少しお話しておきたいと思います。

野本亀久雄九大名誉教授は、生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってこられました。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至っています。そして生体防御学は、基礎研究のみならず、新しい医療技術や医薬品などの開発に関わる、根幹をなす学問として確立されてきました。従来の免疫学だけでは解決できなかった、ウイルスや細菌、さらにガンなどと闘うための学術領域として、世界中の科学者、医学者がこれに取り組んでいる分野になっています。

生体防御学の確立によって、野本教授が日本の医療やライフサイエンス分野の第一人者として、半世紀近くの間この国のみならず、世界のリーダーシップを執ってこられた偉人であることは、誰しも疑う余地はない事実であります。厚労省の幹部や政治家はもちろん、時の総理までがことあるごとに野本教授に助けを求めたことは数知れず、その多くは表に出ることは稀でしたが、国民生活に直接影響がある部分は、隠しようもなく野本教授の存在がマスコミなどで何度か話題になったこともあります。具体的には、臓器移植問題、院内感染問題、丸山ワクチン問題、そして医療事故問題などです。政治家や官僚たちが行う医療行政は、まさに国民の生命に関わる部分であり、大切であると同時に命という非常に重い責任が伴う問題でもあります。野本教授は、こうした問題について、ある意味官僚や政治家に代わってその責任を一手に背負ってきた側面があり、だからこそ時の総理や政治家が野本教授をずっと頼りにして離さなかったのかも知れません。

その好例が、臓器移植問題です。1980年代日本は臓器移植について欧米諸国より大きく遅れていました。移植技術や知識は世界トップクラスにありながら、腎臓や角膜移植などごく限られた移植しか行われておらず、挙句には日本人が海外で移植を受けるケースが増えたため、日本人はお金にものを言わせて海外で外国人の臓器を買いあさっているといった、国際批判も起こりました。問題は、臓器移植に必要な臓器は、死後なるべく時間をおかず提供者から摘出する必要があるが、その判定が日本の当時の法律ではスピーディーに行えなかったのです。脳死という判定基準がなかったことが最大の原因でした。

そして1994年ようやく、脳死判定を含む臓器移植法案が国会に上程されるに至りますが、結局議論がまとまらず、1996年には一度廃案になってしまいます。ここで、野本教授の登場です。行政の依頼を受け、野本教授は医学会・患者団体・宗教界・マスコミなどを纏め上げ、なんとか議会・国民世論が臓器移植に対して賛成を過半数まで引き上げる活動を地道に行われたのでした。そして1997年になんとか臓器移植法の施行にまでこぎつけたのです。そのご苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったと言いますが、これは野本教授の著書「臓器移植:生命重視型社会の実現のために」(ダイヤモンド社)に詳しく記されていますので、ぜひ読んでみてください。

明日はいよいよ、野本教授と免疫ミルクの出会いに迫りたいと思います。

今日も一日頑張って行きましょう。
よろしくお願いします。

コメント