おはようございます。
昨日の早朝、ミスタープロ野球、ミスタージャイアンツ、チョーさんなどの愛称で親しまれ、多くの日本国民に愛されたプロ野球選手、長嶋茂雄さんが亡くなりました。慎んで哀悼の意を表し、安らかなるご冥福をお祈りいたします。
死因は肺炎とのことで、89歳の生涯を閉じられました。昨日6月3日は奇しくも次女三奈さんの誕生日で、最後まで3という数字にご縁があったのかもしれません。1957年の読売巨人軍入団発表以来、現役時代を通して背番号3を守り、現在は巨人軍の永久欠番になっていますが、長嶋選手以来3番という背番号は、強打者の代名詞として定着し、その後も広島の衣笠選手、現役では阪神の大山選手、ソフトバンクの近藤選手など、3番という背番号には憧れとともにプレッシャーも大きいチームの大黒柱的な意味合いがあるように思います。
長嶋氏のプロ野球界における功績は、誰もが認めるところであり、同時代に活躍した王貞治氏と共に「ON砲」として称され、巨人軍のV9に貢献したことは伝説的に語り継がれていますが、記録としても400本塁打・2000安打の同時達成は史上初であり、また最多安打を10回というのはNPB記録、首位打者を6回というのも、セリーグの記録として未だ破られていないと言います。2013年には国民栄誉賞を受賞、2021年にはプロ野球界初となる文化勲章を受章し、まさに野球界のみならず、日本の国民的英雄と言える存在であったと思います。
日本においてプロ野球というスポーツを真のエンタテイメントに引き上げた立役者と言っても過言ではないと思います。いまや野球に限らず、サッカー、バスケ、バレー、スケートなど、プロが活躍する競技スポーツはあまたありますが、日本のプロ野球はその歴史からしても別格の人気を誇っています。そしてその原動力になったのがやはり読売巨人軍の黄金期であるV9の達成であったように思います。当時、子供に人気のトップ3は、巨人・大鵬・卵焼きとも言われた時代で、その巨人の人気をけん引した存在が長嶋選手であったと思います。
もちろん現在のプロ野球に限らず、多くのジャンルでスター的な選手はたくさんいますが、やはり長嶋選手の存在は、特別であったと思います。それを象徴するのが、巨人は嫌いだが長嶋ファンという野球ファンが非常に多かったことです。贔屓のチーム、今でいう推しのチームがあっても、またアンチ巨人であっても、長嶋選手は大好きで応援するといったファンが本当に多かったと思います。長嶋選手は、今でいうアイドル的なプロ野球のアイコンとしての存在であり、まさにプロスポーツをエンタテイメントとして、多くの国民に認識させたことが一番の功労であったと思います。
長嶋氏は、選手時代のみならず、監督としても多くの功績を残していますが、その生涯を通じて、野球というスポーツの面白さ、楽しさ、そしてすばらしさを、真摯に発信し多くの国民に伝えようと努力した人であったと思います。そしてそれは長嶋氏を見て育った、原辰徳氏や、松井秀喜氏などが口をそろえて回顧していますが、やはりテレビなどのマスコミに対して可能な限り積極的に対応し、話題を提供することを惜しまなかった姿勢であると思います。野球の技を磨き、観客を魅了した達人は数多くいますが、その楽しさやすばらしさを言葉にして多くの人々に語りかけ、ファンを喜ばせたエンタテイナーは長嶋氏を置いてほかにはいないと思います。
ご逝去の報に、王貞治氏がインタビューで、「誰にも必ずその時は来るが、一番来てほしくない人に来てしまった」と漏らした一言が非常に印象的でした。慎んでご冥福をお祈りします。
今日も一日頑張って行きましょう。
よろしくお願いします。

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