おはようございます。
スターリジャパンが本社オフィスを構える東京渋谷の街は、銀座、新宿、六本木と並ぶ東京を代表する繁華街ではありますが、現在再開発がすすめられ日々街の顔が変わりつつあり、急速に変貌を続ける街となっています。私たちのオフィスは渋谷駅から東に伸びる宮益坂を登り切った、国道246号線との交差点近くにありますが、高齢者が多い会員の皆さんにとっては、この上り坂はなかなかの難所になっているのではと思います。渋谷は「谷底の街」との異名を持ち、渋谷駅から北は代々木、西は駒場、南は恵比寿、そして東は青山とすべての方向から坂を下った、まさに谷底に位置する街になっています。
渋谷の歴史を振り返ると、渋谷駅を中心として発展してきた商業街ですが、その発展をけん引してきたのが、東急東横線の始発駅を抱える東急電鉄でした。東急グループの一大拠点として、50年代には東急会館、東急文化会館をオープン、東急百貨店や東急東横店の買い物客を相手に、文化事業に注力した街づくりを展開してきました。そして70年代には西武系のパルコ、道玄坂には若者ファッションのメッカとなるSHIBUYA109がオープン。渋谷は一躍最先端ファッションの街として成長を遂げます。多くの中高年にとって渋谷のイメージはファッションと飲食の街として、当時の大学生生活を謳歌したお洒落な街だったのです。
その後80年代に入ると、街の主役は大学生から高校生、近辺の有名校に通う女子高生たちにとって代わられることになります。渋カジ族を皮切りに、街は荒れはじめチーマーと呼ばれる不良グループや、ギャルたちが闊歩した時代です。渋谷センター街には不良少年少女がたむろし、治安の悪化が叫ばれはじめます。そんな渋谷が新たな変貌を始めたのが2000年からと言われ、この年オープンした渋谷マークシティがきっかけとなりました。さらにセルリアンタワー東急ホテルの誕生によって、ホテル過疎エリアと言われた渋谷に高級ホテルが続々と完成することになり、観光と商業の両面で大きな役割を果たすことになります。
渋谷の開発が加速した背景にはアベノミクスがありました。2012年のヒカリエ誕生から、2017年渋谷キャスト、18年渋谷ストリーム、19年渋谷ソラスタ、渋谷スクランブルスクエア、渋谷フクラスなどと、高層ビルが林立する大きな後押しの役割を果たしました。そして渋谷開発はまだまだ続いていきます。2023年渋谷サクラステージ、24年渋谷アクシュ、さらに今後も渋谷東口を中心に、26年から渋谷1丁目地区共同開発、27年には渋谷スクランブルスクエア西棟、中央棟、28年は宮益坂、29年に渋谷2丁目地区と、再開発事業は今後もスピードを上げて継続してゆきます。街の風景が日々刻々と変わって行く、いままさにその渦中にあると言えます。
こうした高層複合ビルの林立によって、渋谷の街はそれまでの繁華街から最先端のオフィス街へと大変身を遂げつつあります。特に注目されるのは、IT・情報通信系の企業が数多く集積しつつあり、アメリカのシリコンバレーを意識したのか、渋谷はいまやビットバレーとの異名をとるまでになっています。具体的にはグーグル、GMO、MIXI、サイバーエージェント、スクエアエニックス、バイトダンスなどの企業が渋谷高層ビル群のテナントとして軒を連ねています。渋谷の街は東京都心のオフィス街の中でもトップクラスの賃料を誇り、大手町や丸の内を有する千代田区や中央区をしのぐ勢いで、主要なオフィスビルの空室率も3%台と都内で最も低いトップを独走しているそうです。
変わりゆく私たちの街、渋谷について明日ももう少し検証してみたいと思います。
今日も一日サステナ飲んで頑張りましょう。
よろしくお願いします。

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