おはようございます。
昨日の続きです。1988年12月の野本先生と免疫ミルクの奇跡的な出会いについてお話ししました。この時、野本先生は九州大学医学部の教授として、また生体防御医学という新しい学問の世界的リーダーとして、押しも押されもせぬ第一人者であったことは誰もが認めるところです。大学教授という肩書を超えて、経済界や政界、そして文科省はもちろんのこと、当時の厚労省や防衛省、国土交通省、警視庁といった官僚たちとも太いパイプを築かれていました。これは野本教授に政治家的な才能があったというわけではなく、財界の実力者や政治家、官僚たちが、野本教授の影響力をなんとか利用したいがために、向こうから近づいてきたということなのだと思います。
もちろん我らが野本先生は、こうした狡猾な野心をもって近づく相手に対しても、分け隔てなく接する方でしたので、さまざまな場面で産業や行政の難題の解決に向けて、自らの知恵と労力を惜しみなく提供されてきました。一見すると神輿を担がれて、相手にいいように利用されているようにも見えますが、当時の野本先生にとっては、すべての仕事が真剣勝負、戦いであったと振り返っておられます。野本教授が、当時野本軍団と呼ばれたお弟子さんたちを率いて、なぜそこまでの影響力を持つに至ったのか。おそらく政治家や官僚の言いなりに動くようなお抱え学者であったなら、決してそこまでの人物ではなかったでしょう。
野本先生の強さの源泉は、その行動原理のシンプルさなのです。金のためでもなく名誉のためでもなく、常に国民のためになるか、人々の役に立つのか、これが先生のすべてに優先する判断基準であり、それを今でも貫いておられるところが人並み外れた力の源泉なのだと思います。だからこそ財界も政界も官僚も、先生を利用しようとさまざまなテーマをもって近づきますが、先生の目線は常に国民の利益であり、彼らの利益は1ミリも考慮されません。その姿勢があるからこそ、強いのであって、難題を解決することができてきたのだと私は思います。
昨日お話ししたエピソードの続きです。私の前に野本所長室を訪れた、日本の大手製薬会社副社長が、野本教授への謝礼として九州大学に収めた奨学寄附金ですが、その金額をここで公表することはできませんが、現在もくずぶり続けている政治家の裏金問題、自民党幹部が受け取ったキックバックの総額を足しても全く届かないレベルの金額とだけ申し上げておきます。それぐらい新薬の開発事業はリスクもありますが、うまみもあるということです。そして当然ですが、自分の懐へ入れるのではなく、すべては国民のためとして、きちんと国庫へ納付するように指導されていたのです。これはD社に限らず、野本教授との共同研究や、研究委託など産学連携の事業はたくさん行われてきましたが、すべて奨学寄附金という形をとっていたと聞いています。
野本教授の存在は、学会のみならず、私利私欲で行動する権力者から見れば、とても扱いづらく、時に危険な存在に見えていた時期があります。だからこそ先生は、案件ごとに戦いがあったと言いますし、敵対する勢力も多かったようです。そうした輩から身を守るためにも、まずお金にクリーンであること、そして筋をきちんと通すことを常に気を付けられていたと言います。そしてそれはお弟子さんたちにもしっかりと徹底されていたようです。
明日は、その野本軍団がこれまでかかわってこられた数々の偉業の中から、いくつかの例を具体的にお話しさせていただきたいと思います。ぜひお楽しみに。
今日も一日サステナ飲んで頑張りましょう。
よろしくお願いします。

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